和解学の創成

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省籍矛盾

省籍矛盾とは、戦後台湾において住民を分断する一つの大きな基軸となってきた、「本省人」と「外省人」の間の対立を指す。本省人と外省人はそれぞれ、現在の台湾住民を構成する主要エスニック・グループの一つである。1945年に日本による台湾統治は終了するが、本省人とはそれ「以前」に、外省人とはそれ「以降」に、大陸中国から台湾に移住した住民の総称である。中華民国国民政府は第二次大戦後の1946年1月、1945年10月25日に遡って台湾人の中国国籍を「恢復」したことを行政部門に訓令した。これにより中華民国籍となった者およびその子孫が「本省人」、それによらず中華民国国籍を所有して台湾に居住する者およびその子孫が「外省人」と解釈される。

両者の対立関係が戦後台湾社会の深刻な分断軸となっていく最大の契機となった事件が、「二二八事件」である。1947年2月、台北市内の街頭のヤミ煙草売りの取締りをめぐる民衆と当局の衝突をきっかけに、同月28日には全台北市が暴動状態となった。政府への抗議行動が台湾全島に拡大すると、蔣介石は軍を派遣し、これを徹底的に弾圧した。この事件により、本省人エリート層からは多大な犠牲者が出た。これ以降、中華民国による外省人を主体とする権威主義的な台湾統治の下、本省人の外省人に対する反感は潜在し続けることとなった。その反感は、1980年代に反国民党運動から野党・民主進歩党の結成をもたらし、それに続く政治体制の民主化を推し進める重要な原動力ともなったと考えられる。

いまや外省人も三世、四世の時代となり、とりわけ若い世代の台湾住民にとって、省籍矛盾が台湾社会の分断軸として意識される傾向は薄らぎつつある。しかし、「台湾の歴史をどのように評価・叙述するか」という課題を前にしたとき、省籍矛盾は今なお敏感な対立点として表面化することがある。極端なケースでは、蔣介石銅像の毀損といった過激な抗議行動の形で、外省人による台湾支配の歴史に対する反感が表明されることもある。2016年に誕生した民主進歩党の蔡英文政権は、「移行期正義の推進」政策を掲げ、中国国民党による権威主義的な台湾統治下で発生してきた、住民に対する人権侵害等の被害の実態と向き合うべく、歴史資料の収集や博物館の設置に力を入れている。これらの取り組みによって台湾社会の調和が深まるかどうかは、予断を許さない状況にある。

家永真幸(東京女子大学現代教養学部 准教授)

 

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主要参考文献

若林正丈『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ』ちくま新書、2001年

何義麟『台湾現代史――二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』平凡社、2014年