和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

  • 1949年前後北京 前門

  • 1930年代北京 前門

  • 1895年台北 衡陽路

  • 1930年代台北 衡陽路

  • 1960年代台北 衡陽路

  • 現在台北 衡陽路

  • 1904年ソウル 南大門

  • 2006年ソウル 南大門

  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

戦後の中国をどう見るか――民衆の感情と愛国主義の歴史を中心に

筑波大学非常勤講師 隋藝

2018年12月24日、早稲田大学の鄭成先生のご案内で、国際シンポジウム「和解に向けての「新史学」」に参加しました。主催者と講演者の先生方々に厚くお礼を申し上げます。このシンポジウムを通じて、「和解学」という新学術領域に接して、様々な学術的な刺激をうけただけでなく、新たに歴史研究者としての責任を痛感しました。当初、研究者を目指して、日本に渡ってきた際に、「日中の相互理解に貢献できるような研究者と教育者を目指したい」という気概に溢れていた自分が蘇りました。自分の研究を「和解・平和のための歴史学」としての可能性について感想を書こうと思っていたのですが、なかなか実行に移せず、結局中国の旧正月明けの今になってしまいました。
「和解」とは、その根本にあるのは相互理解ではないかと思います。この相互理解は重層的であり、相手の国の政治や経済だけでなく、その社会の底辺、民衆の感情のレベルに踏み込まないと、本当の意義の理解とは言い難いです。例えば、2018年、日中首脳会談、安倍総理訪中など日中関係は友好モードへ転換しつつあり、先日中国の春節を迎え安倍総理は中国にむけて中国語で祝辞を述べました。両国の上層部は国家安全や政治・経済のために、友好交流を促進していこうとする姿勢が明らかでした。その一方で、民衆の間に反日の言論や日本を敵視する感情は相変わらず少なくありません。民間では毎年の満洲事変の日(9月18日)を「国恥日」としており、2014年には南京大虐殺事件の日(12月13日)を「国家公祭日」として公式に認定されました。毎年このような記念日になると、愛国情緒や反日の感情が高まります。昨年の靖国神社放火事件はまだ記憶に新しいです。さらに、一方で来日の経験者や若者層において、日本に対する好感度が高いことも見逃することができません。要するに、相手を理解するために、政治・経済等マクロな側面の分析だけでは限界があります。基層社会や民衆に着目することは緊急な課題です。とりわけ日中の間に歴史の重荷があり、民衆の感情を理解せずに、和解を実現することは難しいかと思います。
民衆の感情を研究すると、様々な困難に直面します。とくに、中国においては、愛国主義教育があり、共産党が輿論制限等によって民衆の感情をコントロールできるのではないかと思われます。しかし、研究を進める中で、民衆の感情は簡単にコントロールできるものではないことが明らかになりました。民衆の感情は地域社会の特徴に左右されながら、その底には強い生命力に富む伝統的心性があります。私はかつて日本に支配された大連において、聞き取り調査を実施したことがあります。現在の大連はその植民地歴史の経験を活かして、中国の東北において日本の投資が最も集中した地域です。また、桜まつりやアカシアまつりなど日本人観光客に親しみのあるイベントが多数開催されております。調査の中で、最も印象的だったのは、戦前世代と戦後世代との感情の相違や個人の記憶(感情)も単純でなく、重層性があるということです。植民地を経験した人の多くは、かつて接した日本民間人に対して「友好的」イメージを持ちつつ、植民地時代では同じ仕事に従事した中国人労働者の給料は日本人労働者の三分の一以下などの中国人が差別された場面も無意識に語りました。対して、植民地を経験したことのない世代は、愛国主義教育を受けましたが、経済の側面を重んじて、日本との友好関係を重視する人が多くいました。とりわけ、高等教育を受けた大連市の若者は、植民地経験を大連市の文化として受け止めるべきという声もありました。また、民衆の感情は政治権力に影響されながらも、その政治権力の意図に収束されない多様性と重層性があることが窺えました。以上の点を踏まえると、政治権力はどのように、どこまで民衆の感情を支配できたか、また戦後中国共産党(以下「中共」)はどのように、どこまで民衆統合を達成したかという肝心な問題へとつながります。
中共の公式見解と伝統的革命史観によれば、中共は動員によって成功裏に民衆にイデオロギーを共有させ、社会的連帯感を形成させました。民衆は「精神的覚醒」に目覚め、「自発的行動」をとり、共産党を支持した結果として、中国革命が勝利し、中華人民共和国の建国に至りました。ところが、近年来、脱革命史観の実証研究が蓄積されつつあり、民衆が中共の革命を主体的に支持して参与したという能動性が疑われるべきものとなり、民衆の革命に対する現実的で複雑な対応はますます自明のものとなってきています。ただし、その複雑さの表象にとどまらず、何を手掛かりとして、民衆の複雑な行動を理解するといった作業はまだ十分になされていません。
そこで、拙著『中国東北における共産党と基層民衆 1945-1951』(創土社、2018)(以下「拙著」)では、フランス革命史の「心性」・「集合心性」という概念を取り入れて、その有効性を試みました。もちろん、前述の「感情」も「心性」・「集合心性」に包み込まれています。人間は自覚する、あるいは自覚しないうちに、自らの心性に基づく行動します。フランス革命における初期の農民反乱、日本近代史における打ちこわしや米騒動、1920年代中国の頻繁なストライキなど、これらの民衆の行動は革命志向を持つものではなく、そのほとんどは賃金の値上げや食糧を求めたものです。すなわち、自身と家族の安全の確保や利益関係の重視といった民衆の伝統的心性に基づいたものです。G・ルフェーヴルは民衆の革命志向を持たない行動を革命へ転換するために、「集合心性」が重要であると論じています。つまり、民衆の伝統的心性に基づいて、「心的相互作用」を起こし、「集合心性」を形成させたうえで、何等かの刺激を加えると、革命的行動に出るのです。
逆に、支配者の観点に立てば、広範な民衆がある種の「集合心性」に基づき、指示通りに行動すれば、支配が達成できていると見なせます。従って、いかに「集合心性」を生成・強化させるのかが鍵です。中国革命の文脈において特徴的なのは、中共による大衆工作と言えます。また、中共の大衆工作下、多くの民衆が同一の行動に出たことは、一見すると民衆が中共の動員に応じたように見えます。しかし、その集団行動の背景にある「集合心性」の中身は、中共のイデオロギーの共有、あるいは民衆の政治的自覚でしょうか。ここはまた肝心なところです。拙著の分析では、民衆は自分の生活世界と距離があった共産主義や階級理念には関心が薄いことが判明しました。中共による民衆統合は、中共のイデオロギーの浸透というよりは、民衆の伝統的心性が新たに「集合心性」として強化された過程です。民衆の集団行動を支えた「集合心性」の中身は革命段階によって物資的利益・名誉に対する欲求、愛国情緒、闘争される恐怖心など複雑でした。
民衆の感情の変容にアプローチするために、歴史学の文献研究と民俗学のフィールドワークと融合する研究手法または社会学のライフヒストリーの手法が有効でしょう。より客観的に民衆の感情(心性)を描くために、史料の多元性が求められます。中国の場合には、国民党・共産党に残された公文書、当時の新聞・雑誌、地方文史資料、経験者の口述資料などを併せて分析することによって、政治権力の意図、輿論の傾向、民衆の感情といった多角な視点を保つことができます。それにより、民衆の感情は政治権力に影響された部分、伝統的心性を維持した部分を明らかにすることができます。このような研究は民衆の感情を理解し、政治権力と民衆との相互関係を解明するための一助になり、「和解」のために重要な意味を持っていると考えます。このように、歴史の文脈の中で基層民衆の現実的で複雑な感情(心性)を考察することが重要な課題であり、今後さらなる実証研究が望まれます。