和解学の創成

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領域代表によるエッセイ「歴史学から和解学へ」が投稿されました。これは『帝国日本の植民地法制』(名古屋大学出版会、2008年)が太平正芳賞を受賞した際の挨拶文を修正したものです。

「歴史学から和解学へ」

 

2009年6月に拙著『帝国日本の植民地法制』(名古屋大学出版会、2008年)が大平正芳記念賞を受賞させていただいた際の、日本工業クラブにおける授章式での挨拶文を修正したものです。これは和解学創成プロジェクトがいかに実証的な帝国史研究とつながっているのかの説明として役に立つことでしょう。

冒頭では、帝国史研究とは何かが近代日本の条約改正との関係から分かりやすく紹介されています。法制度を中心とする歴史学としての実証的な研究を発展させることで、歴史認識をめぐる諸問題を、あたかも空中における感情の衝突ではない形で、地に足をつけて議論できるのではないかと思っています。どうか、その延長線上に賠償研究があり、さらにその次に国民同士の和解という問題意識があることをご理解いただきますれば幸いです。

太平記念財団様には、改めて受賞を深く感謝申し上げます。

 

世の中が世界金融危機と失業・経済再編の荒波にさらされるなか、初めての単著にて大平正芳記念賞を受賞させていただきましたこと、誠にありがたいことと受け止めております。わたくし個人にとって、2009年のこの出来事は、生涯永久に忘れ得ない出来事として刻まれることでしょう。受賞に至るまでお世話になりました財団関係者の皆様、渡辺昭夫先生、山影進先生をはじめとする審査員の先生方に、まず感謝申し上げます。

帝国史への関心は、近年イギリスでもアメリカでも流行しております。それは「環太平洋」時代を迎えた現代の日本においてこそ、何よりも切実な問題と考えます。なぜなら「環太平洋」、すなわちアジア太平洋とも呼ばれる地域形成に、日本が取り組むにあたっては、いわゆる「過去」の問題をどのように考えるのか、ある種の踏み絵を踏まなければならない状況が存在しているからです。こうした問題を念頭に、本書(『帝国日本の植民地法制』)は、アジアにおける地域主義の歴史的起源を日本の帝国主義との絡まりあいの中に明らかにし、その後の展開、変質の構造を明らかにすることで、踏み絵を踏む状況そのものを歴史化せんとしたものです。

いささか大上段から申しましたが、具体的な分析の切り口は極めて、実務的法制史的なものです。日本の帝国としての法的特徴は、西欧が作った居留地制度の中において、それを代替することによって膨張が行われたことに起因していると考えます。つまり、「無主地」先取の原則に従いながら、主権国家を形成した世界の外側に向けて西洋が拡張したのに対して、近代日本は、周辺地域に存在していた開港場・居留地体制の中で拡張をおこないました。居留地には、「治外法権」特権を有する西洋人が、宣教師、貿易商、鉱山技師・資本家として居住し商業を営んでおりましたから、日本の帝国的拡張は、国際関係の中で、そして少なくとも初期において西洋の暗黙的明示的同意のもとで、「植民地版条約改正」作業を通じて行われたのです。西洋人の治外法権特権の廃止を念頭にして「帝国法制」が編成され、植民地で法律と司法機関が整備されたことは、日本の陸奥宗光の条約改正による内地での法典編纂と司法整備と同じでした。日本帝国は「文明」的外国人の生命と財産を守護するに十分な秩序として、「文明」的国際社会からの承認を受け「植民地版条約改正」作業によって形成されたわけです。

しかし、こうした歴史的議論は本書の出発点での議論にすぎません。本書は、こうした国際秩序の中に形成された日本の帝国秩序が、やがて今度は逆に国際秩序を規定していこうとする時代、そしてそれが敗戦によって解体される時代にも分析の手を伸ばしています。

 

複雑に組み立てられたタンスを壊すための最善の方法は、そのタンスがどのように作られたのかを理解することであると、あるイギリス帝国史の専門家は指摘しました。

いうまでもなく、近代日本は当初から植民地を領有していたわけではありませんでした。ある時ある決断によって日本の帝国化が開始され、日本の国内法と列強間の国際的条約体制の中で独特の国家と社会を有した帝国が誕生したわけです。それを法的な枠組みで把握することによってこそ、今に至るも歴史認識問題として噴出する「差別」、「偽善」、「搾取」、「支配」、「近代化」、「開発」等の、深い感情を伴う言葉の内実を、国際的な共通の議論の俎上に載せることができると考えます。

また、帝国が世界戦争に巻き込まれ、あるいは積極的に参加することで、どのような大きな変化が帝国的国家と社会に発生したのか、そしてその変化によって戦後世界の中でどのような課題が生じたのか、これまた感情的、かつ「微妙」な問題をも共通の土俵に立って議論することができるようになるでしょう。

 

かつて、アンダーソン先生の「想像の共同体」というナショナリズムの起源についての本が一世を風靡していた1980年代の半ば、わたしは日本のナショナリズムやその周辺地域のナショナリズムを念頭に、今に至る研究に取り掛かりました。しかし、今にして思うのは、戦後的価値をめぐる社会的対立に伴う認識学上の障害を乗り越え、つまり、主体としての研究者自身をも歴史的対象に組み込み、法制史という方法論を政治史と組み合わせてダイナミックに展開することではじめて、近代日本に由来する各種のナショナリズムやその関係を論じる道が開かれたのではないかということです。

「熱い感情を伴うナショナリズムを冷静な頭で腑分け」していくための方法を、法制史と政治史をもちいながら、国際関係論の枠組みに立って開発してこそ、初めて、戦後的な課題、つまり物理的帝国解体以後に残存した心理・感情をともなった未精算の問題に、公明正大な科学のメスを入れられたのではないかと、おそるおそる思ってまいりました。しかし、いままで、こうした私の思いが、私一人の思いこみなのか否かは未知数でありました。少なくとも、今日ここに、受賞させていただきましたことは、より多くの方々に、その答えをいただける可能性が開かれたものと受け止め、喜びに堪えません。

 

一見「無味乾燥」にみえる帝国の法制度を歴史の素材とすることによって、本当に、地域主義と帝国主義とを峻別し分析することができるのか否か、ぜひ、より多くの読者からその答えをいただきたいと切に願ってやみません。また、本書が問題提起した分析枠組が、いずれ地域史を語るための枠組みとして成長し、新しい連帯の感情を相互の関係の中ではぐくむために不可欠のものと認められますことを、心ひそかに念じてやみません。

 

最後に、本書の分析枠組みが、アジア太平洋の地域主義の起源に対して、どのような知見をもたらしたのかについても、ひとこと述べさせていただきます。賠償問題は、日本の戦後復興と安全保障問題の陰に隠れるように戦後史の関心対象からは外れてきました。しかし、賠償は東京裁判と対になって正戦論を支えていましたし、また、復讐や軍国主義復活の口実に利用されないよう、そして、日本の戦後復興と周辺地域の経済発展と矛盾しないよう、日本の在外財産の(私有財産をも含めた)総額をもって賠償の上限とするという政策が推進されていました。そして、この在外財産としての植民地におおける機械工業設備に、日本から資本賠償として撤去される設備を合わせ、周辺地域の経済発展を可能ならしめるというのが、アメリカの基本的な政策でした。

しかし、冷戦によって、それが変質せしめられ、周辺地域に残された日本の在外私有財産と、元日本国民として戦争に動員された方々への補償とを相殺する枠組みが作られていきました。それこそ、いわゆる「歴史認識問題」の起源です。物と人との相殺という枠組みの中、鉄道やインフラ、そして建造物に付着した感情と、戦争で亡くなった親しい人々に付着した感情とが、異なる集合的社会的感情となって物と人を焦点として結実し、戦後日本とアジア諸国との国交正常化交渉は大荒れとなりました。韓国についてですが、最終的にその日韓間の衝突は、アメリカから戦後日本に突きつけられていた間接占領経費をテコとして、アメリカの仲介によって解決されたと私は考えています。間接占領経費とは、帝国解体費用ともいうべき日本人引揚者を大陸や海洋世界から輸送した費用、そして焼け野原となった日本の大都市の罹災民に配布された食糧と医薬品を主とするガリオア資金でした。今もって仮説の域を出ませんが、間接占領経費を日本に対して値引く代わりに、アメリカは日本の韓国への経済協力を促したといえるでしょう。その減額分はやがて、沖縄返還協定以後の駐留経費負担となって今に残留しているとさえ、いえるのかもしれません。

今、私は、ヨーロッパでの機能主義的な経済統合がアジアにおける多国間での経済開発とともに存在したことに、大いなる興味を注いでいます。帝国法制上の権利として存在した在外財産に焦点を当てれば、アジア方面では重化学工業設備が日本から周辺地域へ分散配置され周辺地域の経済開発が促進されようとしていましたし、ヨーロッパ方面ではドイツの単独での復活を許しかねないルールの石炭地帯がフランス占領地域から共同管理へと移行されヨーロッパ統合の先駆けとなろうとしていました。つまり、ヨーロッパの地域統合は、アジアと同じ帝国的秩序の地域への再編という共通の課題に即したものであったと考えられます。戦後のアジアにおいて、日本の直接投資と、韓国等の外資誘導政策によって、合弁企業を主体として実際のアジア新興国の工業発展が引き起こされたことは、賠償政策が意図したことを、遅ればせながら実現したもののようにも思われます。しかし、在外財産に付着した心理と感情面での対立はいまだに残ったままです。

 

以上、アメリカというアクターをも取り込んだ地域史という枠組みの中で、今まで日本帝国史、もしくは冷戦史と呼ばれてきた歴史事象が、戦前と戦後をまたいで議論されると、こんな面白いことが言えるのだということを、いささか冗漫となりましたが、くみ取っていただきますれば幸いに存じます。本書は近年の政治史・思想史分野を中心とする若手研究者中心の、歴史を地域のレベルで記述しようとする新たな潮流の中の一つの作品です。

 

思い起こせば、故郷福島から東京で一人暮らしを始めてからの18年、そして今の職場である名古屋圏に移ってからの足かけ10年、お世話になりました恩師の先生方、そしてともに議論し合った留学生と日本の学友の皆様への感謝は尽きることがありません。中曽根内閣の留学生10万人計画で、私は韓国・中国・台湾の留学生のチューターを数多く経験しました。しかし、実は、お世話したはずの私こそが、多いにお世話になっていたのです。

 

この受賞によって、経済復興と発展に最大の力点を置いてきた今までの日本と近隣諸国との関係が、社会的感情や情緒的側面も含めた深いところから雪が解けるように暖かなものへと変化していきますよう、そして、その先に、心理・感情面でのアジア太平洋地域形成のありかたが浮かび上がりますよう、さらに言えば、それに本書が幾分なりとも貢献できますように、それらの思いを心から念じながら、以上をもって、受賞に対する感謝と喜びのあいさつに代えさせていただきます。

浅野豊美