和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

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  • 1930年代北京 前門

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  • 1930年代台北 衡陽路

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  • 現在台北 衡陽路

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  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

早稲田大学・次席研究員の黄斌氏が、エッセイ「日・中・韓の歴史和解を目指す国史たちの対話の試み ―円卓会議第3回『日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性』に参加して」を発表しました。

早稲田大学地域・地域間研究機構

次席研究員 黄斌

2018年8月24日(金曜)~28日(火曜)に、韓国のソウルで開催された第4回「アジア未来会議」の円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」に参加しました。渥美国際交流財団をはじめとする主催者と他の共催者の皆様には、厚く御礼を申し上げます。

この円卓会議は、東アジアの歴史和解を目指すものです。2000年代に、政府主導の日中・日韓歴史共同研究が進められましたが、3カ国間の交流と紛争の歴史について、なお数多くの課題が残っています。そして、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには、政府主導の歴史共同研究だけでは不十分であると考えられます。そうした状況を踏まえて、この円卓会議では、各国の「国史」、つまり日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させ、それにより、東アジアの知のプラットフォームを構築する可能性を検証しました。

このたびの円卓会議は「国史たちの対話」全5回シリーズの第3回目です。第2回「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」に続き、今回は「17世紀東アジアの国際関係―戦乱から安定へ」というテーマで議論が展開されました。2日間にわたる円卓会議では、日中韓3カ国の歴史家たち総勢9名が報告しました。最後のセッションでは、「和解学の創成」プロジェクトの一環として、今までに行われた歴史対話の試みについて振り返りました。

ボランティアの同時通訳のご尽力により、3カ国の歴史家たちはお互いの質疑応答とディスカッションを通じて、「近くて遠い」というべきそれぞれの研究分野との対話を試み、16世紀末から17世紀までの東アジアの国際関係について議論を行いました。ナショナリズムを研究してきた筆者としては、ナショナルヒストリーの対話は国民同士の和解のために新しい道を開けるか、という大きな期待をもって興味深く拝聴し、知識の乏しい近世史について大変勉強になりました。

この円卓会議における様々の議論で最も印象的だったのは、日本の豊臣秀吉が2度にわたって朝鮮に侵攻した歴史に関する日中韓の認識の違いです。この歴史事件に対する呼び方は、日本では「元禄・慶長の役」ですが、韓国では「壬辰倭乱」、中国では「万暦朝鮮戦争」と呼ばれています。これらの呼び方の裏には、同じ歴史の事実について立場の違いによる捉え方や注目点の相違があります。東アジアの歴史をめぐる国民同士の和解の困難さはここからも垣間見えるでしょう。

このたびの国史たちの対話は、まさにこうした歴史認識の溝を埋めるためのきっかけとなるでしょう。ただ、2日間にわたる円卓会議の議論では、いくつかの気になる点もありました。

まずは、3カ国の研究者たちは非常に詳細な資料を駆使して議論を展開しましたが、相手国の史料に対する利用はまだ不十分ではないかという印象が払拭できません。この面では、中国の史料に関しては、韓国と日本の歴史家たちは比較的詳しいですが、日中両国の歴史家は韓国の歴史資料について、または中韓両国の歴史家は日本の歴史資料について、それほど詳しくないようです。これは言語の問題もありますが、「国史」研究自体の限界にも原因があるのではないかと思います。

私が専門とする近現代史の研究に関しては、日本の関連研究および資料公開の進捗に伴い、中韓両国の歴史家は、日本の研究成果や史料を数多く引用しています。国史たちの対話を重ねることによって、3カ国の研究者の間では、このような史料と研究成果の共有が広がればと思います。

そして、長期的な視野から17世紀の国際関係の変動が3カ国に対する影響を考察する研究はまだ少ないような気がします。例えば、元禄・慶長の役が原因で、明朝は莫大な財政負担を強いられていましたが、これは後の明朝滅亡にどのような影響を与えたのでしょうか。円卓会議の議論でも少しは触れられましたが、当時の軍事・財政状況についてはさらに掘り下げて検討する余地があるのではないかと思います。一方、朝鮮王朝は日本の侵攻に長く抵抗したにもかかわらず、その後の「胡乱」に際しては短期間で撃破されました。「倭乱」と「胡乱」の差異や、2つの戦争の関連性についてさらなる考察が期待されます。

最後に、「冊封体制」または「中華秩序」について、これまでの研究を参照しつつ詳しく検討する必要があると思いました。中国の研究者たちから、いわゆる「中華秩序」は過大評価されているのはないかとの指摘が出てきました。確かに明・清の交替で、中華秩序は激しく動揺しました。そして、日本のような中華秩序の外縁に遊離した大国が存在していました。さらに、「中華秩序」を強調しすぎれば、周縁諸国の主体性を見過ごす恐れがあります。ただ、筆者のナショナリズム研究から見れば、前近代の東アジアにおいては、「中華秩序」の存在は歴史の事実であると思います。この点については、史料に対する歴史家の抽象と捨象にかかわる問題だと思います。次回の19世紀以降の国史の対話では、ぜひとも踏み込んで議論を展開してほしいと期待しています。

第5回アジア未来会議および第4回国史たちの対話は、2020年1月9日(木曜)から13日(月曜)まで、フィリピンのマニラ市近郊で開催される予定です。東アジアに地殻変動をもたらした19世紀以降の歴史の対話を行うことになります。今日の東アジアにおける国民間の「和解」に決定的な影響を及ぼした19世紀以降の一連の歴史事件は、各国の国史においてどのように語られるでしょうか。そして、歴史家たちは東アジアの公共財としての学知を生み出すことができるでしょうか。知のプラットフォームの構築を目指す国史たちの対話での活発な議論を楽しみにしています。