和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

  • 1949年前後北京 前門

  • 1930年代北京 前門

  • 1895年台北 衡陽路

  • 1930年代台北 衡陽路

  • 1960年代台北 衡陽路

  • 現在台北 衡陽路

  • 1904年ソウル 南大門

  • 2006年ソウル 南大門

  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

アイデンティティ

人間にとって「自己」なるものを確立することは、心身の成長とともに他者との接触や対立を通して行われる。やがて青年期になって自覚される「自分とは何であるか」という認識、換言すれば、自分がいかなる特性をもつ「個」であるかという認識がアイデンティティ(自己同一性)である。その場合の特性とは、民族、人種、国籍、性別、宗教、職業、趣味……と千差万別である。ただし、個人が自らのアイデンティティの確立を認識するには、他者による、時には公的な権力による「承認」が必須となる。

このようなアイデンティティの観念は、近代になって成立するものである。

近代以前の西洋においては、貴族、商人、農民といった身分の区別は、それが神の定めた宇宙の「摂理」に基づくものであり、個人はその「摂理」に従い、神から与えられた身分に則して生きることが「理性」とされた。日本でも、徳川時代の正統教学とされた儒教(朱子学)のイデオロギーの下では、支配-被支配の関係を天地の上下関係にたとえて先天的なものとする「上下天分の理」が合理主義として採用され、人間は現在置かれた位置を「分」とわきまえることが「自然」とされた。これによって「士農工商」の封建秩序が正当化された。当然、このような「自然」観においては「個」としての自分が何者であるかを懐疑する余地は生じえない。

かかる中世の「自然」観を突き崩したものが、デカルト、ロック、ルソーらの近代啓蒙思想である。そこでは「理性」は、神から「内面」を解放された自律的個人が「自然」を客体として認識するものとして再規定された。ここに至り、宗教や伝統や共同体による拘束に対する「自己」の表出や追求を自然権としての「人間の尊厳」とみなす、アイデンティティの観念が成立したといえる。

アイデンティティには、個人として「自己」のありかを求める個人的アイデンティティに限らず、何らかの共同体の「一員」であるという認識に基づいて醸成される集団的アイデンティティもある。それは、家族または氏族のような共通の血族関係にとどまらず、共同の伝統、言語、慣習、宗教、歴史意識などによっても醸成されうる。

また、一定の価値規範に対する忠誠心や崇拝といったものも、個人の集団的アイデンティティの源泉となる。丸山真男によれば、伝統的生活関係の変化によって「自我」がこれまで同一化していた集団ないしは価値への帰属感が失われる時、そこに痛切な疎外意識が発生し、この疎外意識がきっかけとなって「反逆が、または既成の忠誠対象の転移が」起こる(『忠誠と反逆』)。つまり、アイデンティティの拠点が既存の価値規範や共同体になくなると、その移転先を模索して個人の対社会的意識は動揺を高め、その極みとしてテロあるいは自死に至ることにもなる。

集団的アイデンティティの典型といえるのが、ナショナル・アイデンティティである。「ネーション」という共同体に価値を見定め、血統、言語、慣習、宗教などを共有するネーションの一員であるという信仰的意識に「自己」の拠点を認めるものである。だが、国民国家における「ネーション」を構成する中心民族であれ、それが純粋な単一民族であることはまれであり、複数の民族との混血を経て今に至るものがむしろ通例である。

このような「混淆性」を粉飾して、均質的な「国民」という集団的アイデンティティを醸成するには、国家が人種や民族を超越した建国神話を教化する必要があった。例えば近代日本では、現人神・天皇との主従関係にある「臣民」という観念が、国民国家建設において個人に「日本人」としての集団的アイデンティティを喚起する求心力をもつと考えられた。

エスニシティや宗教などに依拠した集団的アイデンティティは、植民地支配においてみられるように、支配権力のふりかざす同化主義への反動として抵抗的な色合いを帯びて表出することもしばしばである。戦後世界において、国家が多様な個人のアイデンティティを「国民」の名の下に一元化しようとする動きに対しては、多文化主義の主張が広く力をもつに至った。

総じて現在では、アイデンティティの拠点は対国家的な集団的観念よりも、対社会的な個人的観念に求められる傾向が強まっている。例えば、ジェンダーにおけるLGBTの権利主張にみられるように、「個」をめぐる多様性が国家や社会においていかに尊重されるかが現代政治における重要な争点となっている。

遠藤正敬(早稲田大学台湾研究所 非常勤次席研究員)

関連キーワード:個人 集団 近代 国民 ナショナル・アイデンティティ

主要参考文献

Henry Sidgwick, The Elements of Politics, London: Macmillan, 1897

E. H. エリクソン著、小此木啓吾訳編『自我同一性――アイデンティティとライフ・サイクル』 誠信書房、1973年

丸山真男『忠誠と反逆――転形期日本の精神史位相』筑摩書房、1992年

西川長夫『増補 国境の越え方――国民国家論序説』平凡社、2001年