和解学の創成

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国籍と戸籍

個人が一定の国家に帰属し、その構成員たる「国民」である時、その法的根拠となるものが国籍である。国籍は、個人と国家を結ぶ政治的、精神的な紐帯とされてきた。こうした国籍の概念は、国境線の画定も曖昧であった中世までは希薄であり、それが現実味を帯びるものとなるのは、近代に勃興した主権国家が「ネーション・ステート(国民国家)」という概念を骨組みとして発展していく時代になってである。ここで国籍は国家への忠誠心と結びつけられ、参政権、兵役、公務員就任など国家機構の構成に関わる権利・義務の対象は「国民」に限定することが当然とされるようになった。

個人が国籍を取得する最も基本的かつ重要な原因が出生である。出生によって国籍を決定する基準となる要素には、地縁と血縁の二つがある。

まず出生地主義は、ある国家の領土内で生まれた者は、その国家の国籍を出生と同時に取得するものである。出生地主義は、人は生まれた時から領土に帰属するものとする封建主義思想を「国民」画定の原理としていたイギリスで発祥したが、その後、米国、カナダ、ブラジルなど移民を基体とした多民族国家において広く採用された。これは移民の子孫に「国民」としての共同意識を与えて統合していくには、出生地の同一性に依拠することが必要であったためである。

一方の血統主義は、親の国籍を子が出生と同時に継承するものである。この血統主義は同一文化を有する同一民族により国家を形成するという民族主義に由来するものとされる。血統主義には、子が継承するのは父の国籍のみとする父系主義と、父母どちらかの国籍でも継承しうる父母両系主義とがある。母系主義をとる国はほとんどなく、血統主義というと 20 世紀前半までは父系血統主義を意味した。

国籍の変更は、帰化のような個人の意思によるものとは別に、戦争などによる領土の割譲や独立によっても生じた。これは、上述のような人を領土の従属物とみなす封建主義思想に依って立つ慣行であった。だが、近代個人主義思想の発展に従い、国籍の変更においては選択の自由を個人に認めるべきとする「国籍自由の原則」が19世紀以降、国家の尊重すべきところとなり、領土変更に関する条約においても領土住民に関する国籍選択条項を設けることが通例となった。

さて、戸籍は、個人の身分関係、すなわち私的身分―出生・死亡や親族関係―および公的身分―「国民」であること―を登録するものである。国家は徴税、徴兵、治安維持などの目的から、何らかの形で国民の身分登録を実施し、国民の家族関係や居住関係の把握に努める。戸籍制度は、古代中国において発祥し、これが日本および朝鮮に伝わったものとみられる。欧米では個人単位による身分登録が一般的であるのに対し、中国、朝鮮、日本と東アジア特有の制度であった戸籍は、家族単位で登録簿を編製する点に特色がある。

上記の意味での「戸籍」という制度が存在する国は、今日では日本、中国、台湾を残すのみである。だが、名こそ同じであれ、中国の場合は都市―農村間の居住統制を主眼とした制度であるし、台湾の現行制度は世帯単位で編製される住民登録という方が近い。その点で、居住地とも出所地とも無関係な「本籍」を基準地として「氏」を同じくする家族(現行戸籍法では、一組の夫婦及び子)を単位として編製される日本の戸籍制度は世界で類をみない。

戸籍に登載されるのは「日本国民」に限られ、日本国籍を失った者は戸籍から除かれる。したがって、戸籍のない者は「日本国民」でないことを推認させるものとされる。

こうした日本特有の戸籍と国籍の関係が、現実に深刻な意味をもたらしたのは、日本の植民地支配をめぐる戦後処理においてである。植民地時代に朝鮮、台湾は日本内地の戸籍法が施行されず、朝鮮戸籍、台湾戸籍という個別の戸籍制度が施行され、朝鮮戸籍に登録されれば「朝鮮人」、台湾戸籍に登録されれば「台湾人」として認定された。このような「大日本帝国」時代の差別的な戸籍制度が、戦後処理において在日朝鮮人・台湾人の国籍の決定に利用された。1952年4月19日付法務府民事局長通達により、朝鮮・台湾の正式な日本からの独立を規定したサンフランシスコ平和条約が発効する1952年4月28日において朝鮮戸籍、台湾戸籍に登録されている者は一斉に日本国籍を喪失するものとされた。個人の意思を閑却した、しかも戸籍を基準としての一方的な国籍の画定は、今日に及ぶ在日朝鮮人の人権をめぐる諸問題の元凶といいうる。

近年、日本国籍の証明という戸籍の機能は実効性をもち得なくなっている。離婚成立後300日以内に生まれた子は前夫の子となるという民法第772条の規定に抗う母が子の出生届を出さなかった場合など、法のもつ矛盾に起因する無戸籍の「日本国民」は増えつつある。このことは同時に、戸籍が多様化する「家族」の実態を反映し得なくなっている現実を如実に示している。

国境を越えた人の移動が日常化し、国民国家という概念がゆらぎ始めて久しい今日、国籍国以外の国で生活する人々や重国籍者はありふれた存在となった。各国では重国籍の容認や定住外国人、さらには無国籍者に対する市民的生活の保障といった対応を図る結果、国籍はますます柔軟な概念へと変化しつつある。

遠藤正敬(早稲田大学台湾研究所 非常勤次席研究員)

 

関連キーワード:近代 国民国家 家族 差別 戦後処理

 

主要参考文献

平賀健太『国籍法』(上・下)帝国判例法規出版社、1950-51年

利谷信義・鎌田浩・平松紘編『戸籍と身分登録(新装版)』早稲田大学出版部、2005年

遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人』明石書店、2013年

遠藤正敬『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』人文書院、2017年