和解学の創成

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聖学院大学教授宮本悟氏より 南北の融和だけでは、韓国は北東アジアの中で孤立しかねない状況にあることを趣旨とするエッセイが投稿されました(エッセイはあくまで個人の見解です)」

朝鮮半島の情勢変化に対する日本の対北東アジア政策の現状と展望

Current status and visions of Japan’s policy for Northeast Asia responding to the changes in the situation of the Korean peninsula

 

聖学院大学政治経済学部政治経済学科

教授 宮本悟

Satoru Miyamoto

 

以下は、2019年1月29日に新潟の朱鷺メッセ4階マリンホールで開催された「2019北東アジア経済発展国際会議(NICE)イン新潟」の「セッションA:朝鮮半島情勢の変化と北東アジア協力」における筆者の発表文でありますが、日本と韓国の対立の理由を外交政策と政治制度の違いから説明する試論であるので、「和解学」のエッセーとして掲載させていただきました。挨拶の部分などは省略して、若干の注釈をカッコ付で加えただけで、ほとんど原文のままであります。

 

  • 朝鮮半島の情勢変化が日本の対北東アジア政策に与えた影響は軽微である

 

  • 外交政策の範囲が大きく異なる国家間は意思疎通が困難になる可能性が高くなる

 

  • 政治任用を多用して官僚組織を軽視すると、外交政策が不安定になる可能性が高くなる

 

2018年は、北朝鮮の外交に大きな変化がありました。それは、北朝鮮の最高指導者である金正恩が首脳会談を開催した最初の年になったことです。それも8回も、です。南北首脳会談が3回、中朝首脳会談が3回、米朝首脳会談が1回、キューバ・北朝鮮首脳会談は1回開催されました(シンガポールのリー・シェンロン首相とも会談しているのですが、北朝鮮では首脳会談に入れておりません)。

2018年が、金正恩の首脳会談が開催された最初の年としてのインパクトが強いことは間違いありません。金正恩時代になってから、最高指導者がはじめて非核化の意志を示したことでも注目されます。そのために、2018年に北朝鮮に大きな変化があったという印象を受けます。また朝鮮半島情勢そのものが大きく変わったと見る向きも多いでしょう。

しかし、落ち着いて考えてみてください。たしかに2018年に金正恩が首脳会談を初めて実施したわけですが、北朝鮮の外交が2018年に始まったわけではありません。それまでも北朝鮮の外交は展開されていました。国連加盟国193カ国のうち、160カ国と国交がある北朝鮮は、それなりに幅広い外交活動を持っています。反対に言えば、北朝鮮の外交は、首脳会談がなくても動いていたことになります。

それに、金正恩の前任者である北朝鮮の歴代最高指導者は、中国とも、キューバとも首脳会談をしてきました。北朝鮮は、どれほど内実があるのかは分かりませんが、中国やキューバと安全保障上の相互防衛条約を締結しています。つまり同盟関係です。だから、中国やキューバとの首脳会談は、当然といえば当然のものでした。

南北首脳会談も2000年から開催されています。だから、南北首脳会談そのものも実際には目新しいものではないのです。ただし、南北首脳会談は中国やキューバ、アメリカとは同列に扱うことはできません。南北首脳会談などの南北対話は、日本ではあまり理解されていませんが、これは外交ではありません。というのは、南北朝鮮は、お互いに同じ民族であり、同じ国家であるため統一しなければならないと認識しているので、外国として扱っていないのです。ですから、外務省などの外交部署が扱う対話ではないのです。南北対話はそれ専用の部署が扱います。

もちろん、同じ民族だから、同じ国家でなければならないというのはイデオロギーであって自然な現象ではありません。同じ民族だけど、別の国家というのは世界に数多くあります。日本の近くでは、モンゴルと内モンゴル、マレーシアとインドネシアがそうです。タイとラオスも、その一つに入れられるかも知れません。また、アラブ民族は数多くの国家に分かれています。ドイツとオーストリアもそうです。

しかし、韓国や北朝鮮ではイデオロギーとして、そう教え込まれているのです。ですから、南北首脳会談は非常に盛り上がるイベントになります。しかし、内容が伴っているかどうかは別の問題です。2018年の南北首脳会談では、2回の「共同宣言」と「板門店宣言の履行のための軍事分野合意書」が署名されましたが、それらが朝鮮半島の対立構造を変えたのかというと難しいでしょう。構造というのは、一時的なものではなく、半ば恒久的に続いていくものであることを意味します。

一連の南北首脳会談では、南北朝鮮が統一ではなく安全保障に力を入れていることが分かります。しかし、南北の和解だけでは、北朝鮮に安全を保証することになりません。北朝鮮にとって最も深刻な対立相手はアメリカですので、韓国との和解だけでは北朝鮮の安全保障上の危機感を払拭することにならないのです。

となると、やはり重要なのは、米朝首脳会談ということになります。これはたしかに2018年に初めて開催されました。メディアでも大いに報道されたように、そのインパクトは大変強いものでした。ただし、メディアが大いに報道したからインパクトが強いのであって、実際には米朝首脳会談の共同声明でも具体的なことは何も決まっていません。また、その後の実務者協議も進展していません。もちろん非核化も北朝鮮の安全保障も進んでいません。米朝首脳会談によって、構造的に朝鮮半島の情勢が変化したとはいえません。2回目の米朝首脳会談は開催されるとは思われますが、非核化や米朝和解が実質的に進むことは現在の時点では考えにくいものです。朝鮮半島情勢の変化は一時的なものかも知れないのです。

さて、このような朝鮮半島情勢に対して、日本はどのような対北東アジア政策を考えているのでしょうか。まず、日本外交は、北東アジアだけを見ているわけではないことを念頭に置く必要があります。第2次安倍内閣から始まった「地球儀を俯瞰する外交」では、「①日米同盟の強化及び同盟国・友好国のネットワーク化の推進」、「②近隣諸国との関係強化」、「③経済外交の推進」、「④地球規模課題への対応」、「⑤中東の平和と安定への貢献」、「⑥自由で開かれたインド太平洋戦略」を重点分野として推進しています。まさに地球規模の外交を展開しています。安倍総理大臣の首脳会談だけでも2013年から2017年の間で600回を超えており、先月(2019年1月)の時点で首相の訪問国は78に至りました。

日本の外交の規模は、朝鮮半島のそれとは全く異なります。この非対称性は日本と韓国のお互いの意思疎通を阻む一つの要因なのかもしれません。しかも、韓国よりも北朝鮮の方が世界の視野は広いと思います。北朝鮮は中東・アフリカやキューバなどの社会主義国家や非同盟諸国にも積極的な外交を展開していますが、韓国の外交政策は「北東アジア+アメリカ」から出ることはごく稀です。

さらに、日本外交の中心は「①日米同盟の強化及び同盟国・友好国のネットワーク化の推進」でありますから、北東アジアが最重要というわけではありません。「同盟国・友好国のネットワーク」とは、『外交青書 2018年版』によると日米豪と日米印であります。日米豪は太平洋の同盟国ネットワークを形成してきましたが、それにインド洋の友好国ネットワークである日米印が加わったのです。2017年からは日米豪印が始まっています。

対北東アジア政策は「②近隣諸国との関係強化」のことになります。しかも、「②近隣諸国との関係強化」で最も重要なのは、明らかに対中外交であって、対朝鮮半島外交ではありません。『外交青書 2018年版』の第1章によると、「②近隣諸国との関係強化」では、中国、韓国、ロシア、北朝鮮の順番に説明しています。必ずしもこの順番が優先順位を意味するとは言えませんが、第2次安倍内閣が発足した状況を考えると、対中外交が最も重要であったことはすぐに理解できます。

それは、民主党の野田政権によるいわゆる「尖閣諸島国有化問題」で日中関係が悪化したことが原因であります。そのため、日中関係の改善が第2次安倍内閣の重要な課題になっていました。また習近平政権にとっても日中関係改善は既定の路線でありました。その日中間の努力によって、日中平和友好条約締結40周年である2018年10月に安倍総理が中国を訪問し、日中関係は劇的に改善しました。ただ、2017年から日中関係は大きく改善され始めたと評価されているため、朝鮮半島の情勢変化と日中関係の改善は、ほとんど関係がありません。

ということは、2018年の朝鮮半島の情勢変化が、日本の対北東アジア政策に与えた影響は、それほど大きくはないと評価できそうです。日本の対北東アジア政策に与えた影響があるとすれば、北朝鮮の非核化への期待や拉致問題への解決への期待が少し高まったぐらいでしょう。ただし、あまり根拠のある期待ではなさそうです。米朝関係はまだ不安定である上に、北朝鮮が対日政策を変えたわけではないので、日本の対北東アジア政策に大きな影響を与えることはないでしょう。

朝鮮半島の情勢変化が日本の対北東アジア政策に大きな影響があったとすれば、日韓関係であります。現在、日本と韓国の関係は国交正常化以降、最悪な状態と評価されています。もちろん、日本と韓国の関係は文正寅政権以前から様々な問題を抱えておりました。しかし、文正寅政権以降には日韓関係のケアを怠るようになりました。それは南北対話が始まった2018年以降に顕著に現れるようになりました。これは日韓関係だけではなく、米韓関係や中韓関係でも同じであります。文正寅政権は、発足当初から日韓関係や米韓関係、中韓関係を疎かにしていたわけではなかったと思いますが、おそらく南北対話が思いの外うまくいったことで日韓関係や米韓関係、中韓関係のケアが追いつかなくなったものと考えられます。南北対話が進めば進むほど、韓国は北東アジアで孤立していきます。

南北対話は国内の論理で動きますが、外交関係は国際の論理で動きます。外交関係に国内の論理を持ち込むことは非常に危険な行為であります。外交関係に多少の浮き沈みがあるのは当たり前のことですが、国内の世論を抑えたり、逸らしたりする努力を続けなければ、外交関係は本当に沈んでしまいます。

もちろん、隣国との関係が悪いのは世界一般的に見られる光景であります。東南アジアでも、国内世論の論理では、ベトナムは中国とカンボジアを嫌いであり、カンボジアはベトナムとタイを嫌いであり、タイはカンボジアとミャンマーを嫌いであります。しかし、東南アジア諸国は、インドシナの独立以来、ベトナム戦争やカンボジア内戦など血みどろの戦いを長年にわたって続けた結果、政府が世論を抑えてASEANという国際協力体を構築しました。もちろん、今でも、国境紛争や宗教紛争は時々あります。しかし、東南アジア諸国は、国内の論理を外交関係に持ち込まないように努力しております。

もちろん、国内の論理を外交関係に持ち込むことでよく知られている国もあります。それはアメリカです。その要因の一つは、政治任用(Political Appointee)が多いことにあるのではないかと私は考えています。政治任用とは、政治家である任命権者の裁量によって、忠誠心やイデオロギー、専門性などに基づいて任免することです。ホワイトハウスのメンバーは政権によって、大きく変わります。アメリカは政権が変わるごとに別の国のようになるので、アメリカの外交政策は不安定です。いわばアマチュア外交になります。その代わり、政権発足時に、国民は世論が政治に反映されたという満足感を得られます。しかも、経済大国であり、軍事大国であるアメリカの国内の論理には多くの国々が仕方なく合わせていきます。しかし、これはアメリカだからできることなのです。

日本は、アメリカを真似できません。アメリカの同盟国である日本やイギリスでは、政治任用をかなり制限しています。その代わり、資格や成績を基準にするメリット・システムによって採用された官僚が政権の運営に数多く入ります。彼らは政権によって大きく変わることはありません。そのために、日本の外交政策は、官僚を排除しようとした民主党政権を除けば、安定しております。プロの外交になります。外交政策は、政治家のスタッフが考えるのではなく、官僚が考えて提言するからです。ですから、日本の外交政策は、融通性はありませんが、安定したものになります。

反対に、韓国では、政権が変わると外交政策も大きく変わります。韓国では政治任用が大変多いのです。官僚はいますが、政権が変われば官僚が解任されたり、左遷されたりすることは普通です。政権発足時に国内の世論は満足感を得るかもしれませんが、これでは有能な人材が安定した政策を出すことは難しいでしょう。これが、韓国の外交政策を不安定なものにしている要因の一つではないかと思います。まして、近年では、司法権が行政権の一つである外交権の範囲に判決を下すようになりました。世論が外交関係を動かすツールが増えているのです。

ですから、いったん、世論によって対立が始まった日韓関係が元に戻ることはしばらくないでしょう。構造的な面もある問題ですので、2018年の朝鮮半島の情勢変化だけが原因ではなく、それはあくまで促進要因だったと思います。しかし、深刻な状態だと思います。日本では、世論や政治家だけではなく、安定している官僚機構が韓国に対して不信感を持つようになりました。政治家はいずれ変わりますが、官僚機構は安定しているので変わりません。官僚機構が韓国に不信感を持ったことで、日本における対韓政策はさらに修復が困難になったと考えられましょう。残念なことに、これが、朝鮮半島の情勢変化が日本の対北東アジア政策に与えた最も大きな影響だったのではないかと思います。