和解学の創成

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歴史問題と「和解」を考える~ドキュメンタリーフィルム上映と市民活動との対話の会参加記(櫻井すみれ)

東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻修士1年

櫻井すみれ

 

 

本シンポジウムは2017年10/20日に「 歴史問題と「和解」を考える~ドキュメンタリーフィルム上映と市民活動との対話の会 」と題し、強制連行、強制労働で犠牲となった人々の遺骨発掘運動に深く関わられた殿平善彦氏(浄土真宗本願寺派住職、強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム共同代表)をお招きし、ドキュメンタリー映画『So Long Asleep(長き眠り)』を見た後、感想交流、質疑応答を行った。このドキュメンタリーはイリノイ大学で教授を務めたディビッド・W.プラース氏が2016年に作成し、1997年から20年以上続いている「東アジア共同ワークショップ」の提案者、殿平氏と韓国人研究者である鄭炳浩氏(現、漢陽大学文化人類学教授)を中心に描かれたものである。

「東アジア共同ワークショップ」の始まり

「東アジア共同ワークショップ」は90年代から始まった日本、韓国、在日コリアンの若者を中心にして行われる遺骨発掘運動である。創設者の一人である殿平氏は、1970年代から民衆史掘り起こし運動により、戦時下に強制連行され犠牲となった日本人、朝鮮人、中国人の遺骨発掘を行っていた。しかし様々な理由から十分掘り起こされなかった遺骨があった。1989年、当時イリノイ大学の博士課程の学生であった鄭炳浩氏が資料調査のため北海道を訪れたさい、殿平氏と出会い遺骨発掘に関心を持ったという。鄭炳浩氏は「大学教師になったら、必ず同僚と学生を連れて発掘に来る」と言い、その約束は1992年に10日間にも及ぶ共同ワークショップという形で実現する。以来今日まで遺骨発掘運動は北海道の朱鞠内、猿払村浅茅野、芦別などで続けられている。

「遺骨は誰のものか」

「遺骨は誰のものか」、シンポジウムで殿平氏は私たちに問いかけた。長年遺骨発掘運動に携わってきた殿平氏は、遺骨は政府や市民団体のものではなく遺族のものであり、従って発掘を進める傍ら、犠牲者名簿と照らし合わせ遺族が特定できる遺骨は返還してきた。それでも判明されない遺骨は残り、その中には朝鮮半島出身者のものが多かったという。また遺骨返還が進まなかった背景には、何体ものお骨を合葬してしまい、犠牲者の特定が不可能になってしまった点も挙げられる。特に90年代以降はお骨を預かっていたお寺の建て替えにより、遺骨の保管に困り何体ものお骨が合葬されてしまったり、小さなお骨にして残りは全て捨ててしまうこともあった。ひどい場合は101体もの遺骨が一つの壺に入れられ保管されていたという。これでは遺族が判明していても返還は難しい。壺の中に混ざった101体の遺骨は残ったままだった。

市民の手による「遺骨奉還」事業

2013年、殿平氏は韓国側の遺族から「 私たちがお骨に出会ってから10年経ったが、まだお骨が返還されていない」と言われ、長年遺骨の帰還を待ち続けている遺族たちを前に言葉にならない思いがしたという。そして「混ざった遺骨でもいい。そこに父の骨があるなら、101分の1にして父の遺骨を受け取りたい」という遺族の想いを聞いた。これによりアジア太平洋戦争終結から70周年にあたる2015年9月、115体の遺骨を朝鮮半島への奉持が実現した。これは「70年ぶりの里帰り」と言われ、多くの市民の協力の下で行われた。(なお、「70年ぶりの里帰り」に関してはホームページ『遺骨奉還』に詳しく掲載されている)

遺骨発掘から見えてくるもの、感じるもの

東アジア共同ワークショップは現在、東アジアからはもちろんアメリカ、ドイツ、韓国系オーストラリアやアイヌ民族など様々な背景を持った人が参加する行事となっている。今回のシンポジウムに参加されたワークショップ経験者は、「現在東アジアでは政治的険悪な雰囲気があるが、そんな時だからこそ互いに顔が見える場所へ行き出会うべきだ」とワークショップの意義を語ってくれた。

殿平氏は遺骨を遺族に返還することは、政府や企業の代理として行っているのではなく「骨に出会ったもの」としての責任から行っていると言う。同時に日本政府が責任を持って行う役割や、企業の問われるべき責任を指摘するも、市民や宗教者が行う場合「気持ち」が届きやすく、市民でなければ行うことの出来ない和解事業があるのではないかと話す。

「記録をすることでしか記憶は残らない」、長年の遺骨発掘の取り組みを振り返りながら殿平氏は語る。記録をし、記憶し続ける。遺骨という「もの」を掘り起こすことで、埋没され忘れ去られていた歴史が再び私たちの前に姿を見せる。その痛みを帯びた「もの」を、私はどの地点から眺めているのだろうか。「もの」と出会い、「痛み」を想像し、継承続ける。長い年月をかけて行うこれら一連の作業を通じて、ようやく和解と呼べる何かに繋がるのではないだろうか。