和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

  • 1949年前後北京 前門

  • 1930年代北京 前門

  • 1895年台北 衡陽路

  • 1930年代台北 衡陽路

  • 1960年代台北 衡陽路

  • 現在台北 衡陽路

  • 1904年ソウル 南大門

  • 2006年ソウル 南大門

  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

和解過程の韓国的脈絡

朴鴻圭(高麗大学平和と民主主義研究所長)

2017年12月16日、早稲田大学で開かれた国際シンポジウム「和解学の創成に向けて」に参加した。「和解学」という新しい学問領域を切り開くために、早稲田大学が意欲的に取り組むプロジェクトのキックオフシンポジウムであった。私は高麗大学の平和民主主義研究所長を引き受けることになってから、研究所内に東アジア和解協力センターを創設して、東アジア地域における歴史の和解と相互協力を実現するための多様な作業を推進してきた。その中でも特に、韓日関係の改善のためには、早稲田大学とのパートナーシップ強化が必要だと認識していた。

今回の新学術領域プロジェクトへの参加は、私が政治外交学科長などを歴任しながら推進してきた事業の延長線上にある。私は以前から早稲田大学と学生交流および研究協力を進めてきた。その成果として、政治外交学科では共同学位制が運営されており、政経大学ではキャンパスアジアプログラムが運営されている。和解学の創成という課題を共同で進行することにより、両校の真の意味での学問的交流が始まったと言えよう。

このプロジェクトを主導している浅野豊美領域代表の講演は、韓日歴史の和解に関心を持ち続けてきた私にとっては、理論的にも実践的大きな刺激となった。浅野代表は、東アジア地域の特殊性に基づいた和解学を指向するべきであり、各国家の国民的社会の変化に合わせて和解学を創成しなければならないという点を指摘した。そして、和解を実現するために要求される3原則(正義の複数性、国民感情の相対化、相互尊重の態度)を提示した。

浅野代表の問題提起に同感する私は、彼が提示した課題を実現するために必要だと考える韓国的な脈絡を紹介しようと思う。

朝鮮半島を巡る国際政治の突然の変化とともに、和解と協力に対する期待感も高まった。

不信と憎しみに基づいた「対立の政治」を終わらせ、信頼と尊重に基づいた「協力の政治」を通じ、韓国が直面している三つの課題である「社会の両極化の解消」、「韓半島平和体制の構築」、「日韓歴史の和解の成立」を願う市民の要求が高まっている。しかし、これを実現するための道は、相変らず多くの不確実性を含んでいる。今までの敵対的な対立関係が残した負の遺産が大きいため、一時的な和解の動きが持続的なそれにつながることは楽観できないためである。現時点で、過去の政府が行ってきた和解の努力を再評価し、「遅滞した和解」による感情的な傷と向き合い、変化と不確実性の中でも、和解のための相互的関係が持続できる条件を模索しなければならない理由が正にここにある。

私は、金大中・盧武鉉大統領が執権した1998年から2007年までを「和解プロセスの第1段階」と規定する。この「第1段階」では金大中-小渕日韓パートナーシップ宣言(1998年)、対北朝鮮和解協力政策(太陽政策)、真実・和解のための過去の歴史清委員会等を通じて、植民支配、冷戦体制、権威主義統治が残した歴史的遺産(歴史的不正義)を克服し、和解と協力の関係を形成しようとする試みがなされた。

1980年代以後、全世界的次元で進行した民主化と脱冷戦という歴史的転換期に、和解に対する関心が急増した。体制履行以後、過去の政権が犯した不正義を正す努力と共に、和解とその過程に対する哲学的・理論的・実践的関心が急増したのである。韓国社会の「和解プロセスの第1段階」は、韓国の民主化以後開放された政治競争の中で成立した最初の政権交替の産物であるが、このような全世界的流れを反映するものでもあった。

「第1段階」を通じて隠蔽され、忘れられた事件の真相が明らかになり、責任の所在も明確にされ、被害者に対する復権および賠償などが行われた。また、南北関係と韓日関係にも進展があった。しかし、過去の歴史清算、南北関係および日韓関係改善などが「分離的」に進行されたという点で「第1段階」には限界がある。しかも、冷戦構造が完全に解体されないまま和解プロセスが進んだため、国内政治の側面で理念的対立を深化させることもあった。結局、政権交替が行われ、李明博・朴槿恵政府の時代に国際的・国内的次元で和解のための試みが全くなかったわけではないが、金大中・盧武鉉政府が推進した和解政策がほとんど中断され、和解が遅滞した。「第1段階」の産物は否定され、和解に対する理論の不在と実践が停滞する「和解の遅滞」現象が生じたのである。

2017年のろうそくデモと政権交替、2018年南北首脳会談の開催は、「第2段階の和解プロセス」を導く事件と言える。この「第2段階」は、遅滞した和解の中で敵対的な「対立の政治」が残した否定的結果を克服し、「協力の政治」を通して、韓国社会が直面している、重層的不正義を実践的に解消しなければならない時期である。文在寅政府の登場以後、韓日関係を回復するために、韓国は歴史問題と政治経済問題を分けて扱うツートラック政策を日本に提示した。平昌(ピョンチャン)オリンピック開催を契機に南北和解の扉を開き、南北首脳会談を成功させた。更に、韓半島周辺の強大国の間で平和を引き出すために努力を行ってきたが、それはついに米朝首脳会談の実行までに至っている。このような状況の展開は、「第2段階の和解プロセス」が事実上始まったことを意味する。しかし、国内政治では「積弊清算」のような敵対的共存関係時代の用語が氾濫しており、韓日間の和解と協力のためのツートラックが「慰安婦」問題によって揺れており、北朝鮮の完全な非核化過程は未だに不確実である。このような状況で「第2段階」が着実に進むためには、多様なレベルから成り立つ和解プロセスを一貫して推進できる統合的原則、すなわち和解に関する理論を確立し、それに基づいた実践案を用意しなければならない。

そのために以下の二点を提言しようと思う。

まず、「第1段階の和解プロセス」のモデルの批判的な検討である。和解プロセスは現実での実践の側面と、その実践を可能にする理論の側面で構成される。「第1段階」の時代において、過去の歴史清算、南北和解協力、韓日関係改善などを推進する背景になった理論的モデルが何かを、調べる必要がある。和解プロセスは大きく、①真実糾明と責任所在の確定、②加害者の謝罪と被害者の容赦、③名誉回復と追慕、被害者補償、協力事業を通じて成り立つ。この視点で見れば、過去の歴史清算は①から③へ、韓日関係は一方的で制限的な謝罪から③へ、南北関係は直ちに③の協力事業へ履行した側面がある。

全てにおいて、最も難しい②の過程、すなわち当事者間の感情を治癒する過程を十分に経なかったという共通点を持つ。①、②、③を段階的に理解する必要はないが、それぞれの過程は和解においてそれなりの意味を持つ。個別領域が持った特殊性を考慮しながら、共有が可能な共通の記憶を形成し、感情を治癒して、制度化する過程をどのように行うのかについての検討が必要である。

二番目には、歴史的不正義と現在的不正義を同時に解決しなければならないということである。「第2段階」で解決しなければならない問題は重層的で複合的である。遅滞している歴史的不正義を解消するための努力も重要であるが、社会両極化と多文化による社会葛藤、気候変化の危機などのような現在的不正義を解決するのも重要である。

なぜなら遅滞した歴史的不正義を解決するに当たり、現在的不正義が影響を与えるためである。例を挙げると、権威主義統治に抵抗して民主憲政秩序確立に寄与した民主有功者を国家有功者で優遇および補償することが、彼らに特典を与えて逆差別を産むという不満も存在する。これは社会両極化のような現在的問題を解決できないならば、歴史的不正義を正す作業に対する民主的正当性が弱くなる可能性があることを意味する。現在的不正義を解決するのは、歴史的副正義を解決することを助けられ、その反対も可能である。仮に北朝鮮離脱住民が、韓国社会の一員として安定的に定着できるようにすることは、多文化政策の一環と見ることができ、これは南と北の歴史的記憶の差を和解させる過程に大きい意味を持つことができる。したがって、「第2段階」では、歴史的不正義と現在的不正義を包括的に扱うべきであり、いかなる領域での和解進展が違う領域での和解に肯定的影響を与えられる方案を模索する必要がある。

韓国における和解は葛藤が完全に解決された結果の状態を予測しにくい。絶え間ないプロセスがあるのみである。そのプロセスは南南、南北、韓日という三層上の重層的問題を連係して解くべきで、その上歴史的不正義と現在的不正義を同時に解かなければならないという、かなり難しい過程である。早稲田大学が推進する「和解学の創成」プロジェクトが成功するためには、このような和解プロセスの韓国的脈絡を理解することが必要であろう。