和解学の創成

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平和構築プロセスとしてのキャンパス・アジアプログラム:方法論からの観察

Campus ASIA program activities as a peacebuilding process: Methodological reflections

 

小山 淑子

Shukuko KOYAMA

 

  • 和解を含めた平和構築プロセスの取組として、キャンパス・アジアプログラムを捉えることができる。
  • 「歴史認識」のテーマも、演習の設計次第では、建設的な議論と信頼醸成が可能となる。
  • 「何を」話し合うかと共に、「どう」話し合うかという方法論の側面にも考慮することは、平和構築を築く上で有益だ。

 

I はじめに

 

紛争解決学ではしばしば、「和解」はゴールではなく、平和を築くためのプロセスであるとされる。[i] そして、そうして築かれる平和が持続するためには、そのプロセスが、トップリーダーのみならず、ミドルレベル、草の根レベルも含めた社会全体を巻き込むものである必要がある。[ii]

 

早稲田大学が昨年度より北京大学、高麗大学校と共同運営している『キャンパス・アジア:多層的紛争解決・社会変革のためのグローバルリーダー共同育成プログラム』(以下、「キャンパス・アジアプログラム」)は、そうした平和構築のためのプロセスを築く取組の一つと言える。

 

「キャンパス・アジアプログラム」は文部科学省の助成を受けて、和解学プロジェクトの思想・理論班リーダーでもある梅森直之教授をプロジェクト・ディレクターとして2017年度に本格始動した。中国の北京大学、韓国の高麗大学校との共同運営で、「紛争解決」と「社会変革」のテーマのもと、学部生レベルでの学生交流、及び共同カリキュラム運営を中心とした取組を行っている。[iii]筆者はこの「キャンパス・アジアプログラム」の専任講師として従事している。

 

早稲田大学で開講しているキャンパス・アジア科目では、紛争解決と社会変革をテーマに、東アジアやその他の地域における平和構築や社会問題解決について幅広く学んでいる。こうした通常の授業に加え、早稲田大学に在籍する正規生・留学生のほかに高麗大学校と北京大学に在学する学生も参加する集中講座を、夏季と冬季の年2回行っている。[iv]

 

本稿では、キャンパス・アジアプログラムの取組の中でも、東アジアの歴史認識問題をテーマに日中韓の学部生を対象にして開催した夏季集中講座を取り上げ、方法論の側面から、平和構築プロセスとしての「キャンパス・アジアプログラム」での取組を考察する。

 

II 夏季集中講座「東アジアの近現代史における歴史認識」

 

授業に参加する学生、特に日中韓出身の学生達を見ていると、「共通の社会問題解決」に関しては高い協働意識をもってスムーズに議論やグループワークを進めることが出来る一方で、東アジアにおける近現代史、特に植民地統治や戦争に関わる問題には積極的に触れない傾向がみられる。学生達にはこうした問題は一種の「トゲ」のような存在であるらしく、「我々の世代はせっかく仲良くしているのだから、わざわざ寝た子を起こす必要はない」という学生が少なくない。

 

キャンパス・アジアプログラムでは、こうした学生の関係性を一歩進め「異なる見方の受け止め」、「相互理解」と「信頼」に基づくより強固なものにするべく、「寝た子」を起こす仕掛けを取り入れた。そこで実施されたのが、2017年度の夏季集中講座であった。

 

夏季集中講座では「東アジアの近現代史における歴史認識」をテーマに設定した。8日間のプログラムはすべてアクティブ・ラーニング手法を用い、前半は2泊3日のフィールドトリップで長崎と軍艦島を訪れ、原爆や戦前・戦中の強制労働について議論を重ねた。早稲田キャンパスに戻って行ったループ・ワークでは、架空の共同歴史教科書の「1945年8月」に関する1ページを執筆するという課題に取組んだ。参加学生は最終日に一般公開の成果発表会で、成果物である架空の歴史教科書の1ページを発表した。[v]

 

この集中講座を設計する際には、紛争解決や平和構築の取組の場で採用されてきた方法を取り入れた。課題としての架空の「共同歴史教科書」作成と、グループワークの際の議論にファシリテーションを取り入れた。講座を担当した3名の担当教員は異なる専門分野(東アジアの近現代史、紛争解決分野での理論構築と実務)と経験を有しており、それぞれの知見にもとづくサポートを行った。

 

参加者の中には日中韓のいずれか2つの言語で議論が出来る学生も少なくなかったが、ディスカッションに用いる言語はあえて英語のみにした。母国語、また東アジアの現地語から距離を取ることで、自身の考えにある程度距離をもって向き合う効果を意図したためである。加えて、東アジア地域を専門にしていない、もしくは必ずしも強い興味を抱いていない学生も、気後れすることなく議論に参加できることを促す側面もあった。

 

III 演習としての架空の「共同歴史教科書」作成作業

 

実はこれまで、紛争状態にあった国による「共同歴史教科書」作成という取組は、多くの地域で行われている。[vi]日中韓でも、2002年日中韓3か国の研究者、教師、市民によって「歴史認識と東アジアフォーラム」の開催を機に、3か国共通の歴史教材『未来をひらく歴史:東アジア3国の近現代史』が作られた。[vii]この『未来をひらく歴史』教科書作成の取組では、日中韓それぞれの執筆者がまず自国で原稿を作成し、その後に国際会議で議論して校正を重ねるという手法を取った。

 

一方、「キャンパス・アジア」の夏季集中講座における共同教科書の執筆作業では、集中講座という非常に限られた時間の中で、異なる立場や見方を直に相手から学ぶようにするためであった。作業メンバーは国別にせず、各グループに必ず日中韓出身の参加者が配置されるようにした。

 

  1. 多様な教科書ページの記述方法

 

教科書作成の過程で多くの時間が割かれたのは、「何を」、「どのように」書くのか、という議論であった。「何を」書くのか、という点に関してはどのグループも、起こった「事実」として疑いのないものは記述する、という結論に比較的スムーズに至っていた。 しかし、いかにして「1945年8月」に関する1ページに、「何」を「どのように」記述するのか、という点に関しては、グループの間に違いが見られた。

 

中でも、認識に違いがある事柄をどう扱うかに関して、各グループとも活発な議論を重ねた上、それぞれのアプローチを採用した。例えば、歴史的「事実」を記述したうえで、その歴史的出来事が各国それぞれに持つ「意味」や、それぞれの立場からの議論も併記する方法を取ったグループがあった。一方で、対立点をことさらに強調することは避けたい、というスタンスを定めるグループもあった。こうしたグループは、上記のタイプと同じく「事実」を記述した上で、その事象の持つ各国にとっての意味など解釈の部分は一切記載しないという選択をした。

 

これら2つのタイプとは別に、なるべく参加者の国籍から離れるというアプローチを取るグループもあった。このグループは、記載する項目の選択基準を「歴史的意味の大きいもの」及び「人道的に重大なもの」とした。

 

  1. 共通された目的意識:「東アジアの平和のため」

 

「何を」、「どのように」記述するのか議論を深めていく過程で、参加学生は次第に、「執筆者である我々(学生)は何者で、何のためにこの教科書を作るのか」という問いに向き合いだした。

 

共同歴史教科書の役割・目的に関しては、いずれのグループも、異なる見解や歴史認識を明らかにすることで紛争や対立を煽るのではなく、平和構築に向けての対話のための素材として、共通歴史教科書を作成するのだという認識に落ち着いた。

 

一方で、「執筆者である我々は何者なのか?」ということに関しては、参加者の間では大別して2つアプローチが見られた。1つ目のアプローチは、自身の出身国(もしくは親の出身国)の国籍を強く意識する、「ナショナル・アイデンティティ」ベースのアプローチであった。もう一つは、ナショナル・アイデンティティを持ちつつも、「東アジア市民」、「グローバル市民」という「トランスナショナル・アイデンティティ」も同時に強く意識したアプローチであった。こうした参加者のアイデンティティの持ち方の違いが、先述したグループごとに異なる記述方法に影響したと考えられる。

 

  1. 「歴史」と「歴史教育」を捉えなおす

 

「共通教科書」の1ページを書く、という作業を進めていく中では、「歴史とは何か」、そして「歴史にどう向き合うのか」という議論も立ち上がった。

 

実は、参加者は多国籍グループに分かれてグループ・ワークに取り掛かる前に、日中韓とそのほかの国籍に分かれ、それぞれ自国の学校教育でどのような歴史教育を受けたかを話し合った。自国グループでの議論を通じて参加者は、自国における歴史教育がどのように、何のために、誰によって、なされてきたのかを振り返り、各々の出身国における歴史教育の目的、在り方を見つめなおす機会を持った。こうして参加者は、それまでの学校教育や政府、もしくはメディアを通じて伝えられる「歴史」を、自らが伝えられるままに受動的に受け止めていたという気付きを得ていった。

 

その後で取り組んだ多国籍チームでの「共同歴史教科書」執筆の作業では、参加者はそれぞれ、「何を」記述するかの取捨選択、そして選ばれた項目を「どのように」記述するのか、活発な議論を重ねていった。こうした議論を通じて参加者は「歴史」を能動的に自ら咀嚼しなおしていったわけだが、このことは同時に参加者が自国の歴史教育を客観的に見つめなおす機会ともなった。

 

  1. ファシリテーターの役割

 

学生のみで議論を進めるのでは、必ずしも異なる意見や言いづらいセンシティブな意見は共有されない。よって、平和構築・開発援助やコミュニティワーク、またビジネスの世界などでしばしば用いられるファシリテーションの技術を習得しているボランティアの方々に、ファシリテーターとして参加してもらい、1人のファシリテーターが1グループのサポートを担当することとした。第三者の立場であるファシリテーターがいることで、当初参加学生にとって抵抗のあった話題に関しても、徐々に深い意見の交換がされるようになっていった。[viii]

 

また、日中韓での学校教育を受けてきた多くの参加者にとって、「正解がない」もしくは「複数の正解がある」という思考はなじみが薄くいものだったが、ファシリテーターが議論を促すことで、「正解はない」、「正解は1つ以上ある」という思考方法に慣れていない参加者が、複雑なディスカッションを進めていく際にも大きな貢献をした。

 

ファシリテーターの参加を得たことで、教員は議論の進行役という立場を離れ、リソース・パーソンとしての役割に集中することが出来た。歴史問題を議論するにあたっては、東アジアの近現代史の専門知識を持つリソース・パーソンが、学生が歴史認識の違いなどを議論する際、適宜助言を与えることが肝要であり、それを可能とするために、議論の場を整える役のファシリテーターと、リソース・パースンの双方が、明確な役割分担の下で学生の議論をサポートできたことは有益だった。

 

IVおわりに

 

キャンパス・アジアに参加する学部生は、出身国も専攻分野も様々な学生だ。年代的にも、参加学生のほとんどは東アジアの人々がそれぞれ文化・経済の面で互いに門戸を開き、盛んに交流する世界に生まれた世代である。このように「開かれた」時代に生きる彼らにとっても、歴史教育は未だに自国の中に「閉じ込められた」、数少ない領域の一つだ。

 

2017年12月の「和解学創成へ向けて」シンポジウムにおいて、浅野豊美先生より「歴史の解釈権」を民衆が握ったことがアジアの民主化の転換期であった、とのご指摘があった。[ix] 本稿で紹介したキャンパス・アジアプログラムの夏季集中講座での取組は、自国における解釈権の掌握から一歩進んで、他国の人々の解釈権と解釈自体を尊重することの、具体的な試みだったと言えるかもしれない。

 

今後このような取組を継続していくためには、自国の歴史観を客観的に見つめなおし、他者の立場から歴史を俯瞰するという思考的訓練に加え、感情的訓練もまた不可欠であろう。であるならば、歴史を話し合う際のコミュニケーションの方法についても、注意が払われるべきだろう。

 

武力紛争を経験した地域での紛争解決や平和構築の現場では、様々な政治力学や利害関係が絡まりあっており、こうした複雑な利害関係、人間関係の中では、「いかに」話し合いを進めていくかということが、「何を」話し合うかということと同等、もしくはそれ以上に、慎重に考慮されている。そしてそうした複雑なコミュニケーションを行う際にしばしば用いられているのが、本稿で紹介したファシリテーションという技術である。夏季集中講座でも、参加者が安心してそれぞれの感情や意見を表現し、受け止め合えたのは、このファシリテーションを用いたことが大きい。

 

本稿で紹介したキャンパス・アジアプログラムの夏季集中講座の取組は、2018年も開催される。学部生と共に作り上げるこの実験的な取組は、引き続き多くの改良が必要であることに疑問の余地はない。今後も引き続き、多方面からのご批判、ご指摘、ご提案をいただきながら、これからの世代のための平和構築プロセスとして寄与するものとしていきたい。

【本稿の概要は『ワセダアジアレビュー』2019年第21号に掲載されている】

 

 

参考文献

 

浅野豊美(2017年)「東アジア和解三原則提案」、国際連携シンポジウム『和解学創成へ向けて』、2017年12月16日、早稲田大学

 

日中韓3国共通歴史教材委員会(2005年)『未来をひらく歴史:東アジア3国の近現代史』高文研(第2版)

 

Jacob Bercovitch, Victor Kremenyukand I. William Zartman (eds.) (2009): The SAGE Handbook of Conflict Resolution, SAGE, London.

 

Karina V. Korostelina and Simone Lässig (eds.) (2013): History Education and Post-conflict Reconciliation: Reconsidering Joint Textbook Project, Routledge, London and New York.

 

John Paul Lederach (1997): Building Peace: Sustainable Reconciliation in Divided Societies, United States Institute of Peace Press.

 

Valerie Rosoux (2009): ‘Reconciliation as a Peace-Building Process: Scope and Limits’, in Bercovitch, Kremenyuk, and Zartman (eds.) (2009), The SAGE Handbook of Conflict Resolution, pp. 543-560

 

(早稲田大学留学センター・講師)

[i] Rosoux (2009)

[ii] Lederach (1997)

[iii] https://www.waseda.jp/campus-asia/

[iv] 2017年度の冬季集中授業では、テーマを「日本の東北地方における震災後の復興と地方再生」とし、東日本大震災で被災した岩手県沿岸部を訪問、現地の課題や企業・自治体の取組について地元の方々から聞き取りをした。その後のグループワークでは、紛争解決、特にコミュニティ問題解決の場でしばしば取り入れられる演劇手法を使い、現地の課題への理解を深めるとともに、課題解決方法を提案するプレゼンテーションを行った。

[v] 毎日新聞(2017年)「夏季集中講座:歴史認識、国超え議論 「共通教科書」発表、相互理解の深化期待 早大など日中韓学生ら」、毎日新聞、2017年8月18日https://mainichi.jp/articles/20170818/ddl/k13/100/105000c

[vi] 例えば、ドイツ・ポーランド間では1972年に「ドイツ・ポーランド共同歴史教科書委員会」が設立され、両国の歴史家が共同で歴史教科書を執筆した。2000年代にはドイツとフランスの間でも両国の高校生による要望を発端として、共同歴史教科書が作成された。こうした「古い」紛争関係国の間での取組の他に、比較的近年の武力紛争関係国の間(例:旧ユーゴスラビア地域、南コーカサス地域など)でも、同様の取組がなされている。Korostelina and Lässig (eds.) (2013)

[vii] 日中韓3国共通歴史教材委員会(2005年)。このフォーラムにおいて作成委員会が組織され、その後日中韓においてのべ11回の会議を経て教材の執筆が進められた。作成のプロセスは、まず各国の担当者が執筆し、その原稿を国際会議で議論し、意見を反映して修正する、という作業を繰り返すというものであった。こうして完成した歴史教材『未来をひらく歴史』は、韓国ではハンギョレ新聞出版部、中国では中国社会科学院社会科学文献出版社がそれぞれ出版した。

[viii] ファシリテーターが東アジア地域や歴史の専門家でないことは重要だ。ファシリテーションの技術を専門的に学んだそうした専門家でない限り、どうしても自身の知識に基づいて議論を誘導してしまいがちになり、参加者自身の自発的・自立的議論が阻害されるからだ。

[ix] 浅野豊美(2017年)