和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

  • 1949年前後北京 前門

  • 1930年代北京 前門

  • 1895年台北 衡陽路

  • 1930年代台北 衡陽路

  • 1960年代台北 衡陽路

  • 現在台北 衡陽路

  • 1904年ソウル 南大門

  • 2006年ソウル 南大門

  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

新運動班研究代表者からのメッセージ

過去に起こった紛争・内乱、長く続いた特定の集団への差別や植民地支配や戦争での人権侵害に起因する葛藤を解きほぐし、被害者に対する謝罪や名誉回復、補償を進めていく際に、市民の活動は極めて重要な役割を果たします。そこでは、既存の法制度、行政施策のもとでは救済できないような人権侵害が起こっており、その被害者は多くの場合、一人では声をあげること自体が困難です。そうした問題の提起は、官僚や有力な政治家らではなく、しばしば不正義を見逃さない市民によって行われます。そして、世論喚起や、問題解決のための行政交渉や司法の場への持ち込み等も市民運動として展開されるのが一般的です。また、政治や法制度でのある種の「解決」のための決定が下された後も、犠牲者の追悼や顕彰、加害者・被害者の相互理解の醸成のためには市民の活動の役割は大きな意味を持ちます。

「市民運動班」では、こうした「和解」に関わる市民の活動に焦点をあてます。まずは、体系的に保存、公開されにくい市民運動関係のニュースレターや集会の記録、裁判資料等の文書の収集、整理と、長年、「和解」にかかわる市民運動を牽引してきたキーパーソンや人権被害の当事者・遺族らの証言記録の収集に努めます。また、追悼や顕彰の儀式、体験の継承や歴史展示等を含む、現在進行形の市民運動も分析の対象とし、そうした活動の「参与観察」も試みていきます。なお、そうした活動は、プライバシー等に配慮し、関係者との信頼関係を築いたうえで進めていくようにいたします。もちろん、研究者はある特定の市民運動団体の「代弁者」ではないので、行政当局者やある種の市民運動への批判的な市民社会の意見などにも、目配りしながら、調査を行います。

そして、そこから得られたデータを検討、分析し、「和解」に関わる市民運動の果たしてきた役割を評価し、直面している難しさやその背景、今後の可能性などについて、分析、考察を進めていきます。具体的な問題としては、中国人の戦争被害、「満州移民」などの民衆レベルでの侵略やその加害を踏まえた友好構築の活動、朝鮮、台湾の植民地支配、とりわけ戦時期の動員にかかわる問題や、「慰安婦」問題、戦争終結後の領域変更にともなう残留と家族の離散、先住民の歴史の復権と権利回復等、冷戦を背景とする弾圧による大量虐殺事件の真相究明などにかかわる市民運動を取り上げていく予定です。これらの問題は、冷戦が封印してきた要素や、国家間の利害対立が複雑に関係しているケース、国内内部の長期的・構造的な差別が原因となっている事例等々、葛藤や対立の背景となっている要素は多様です。その比較を通じて、それぞれの問題における独自性や特徴についても浮かび上がらせていくことも目指したいと思います。

「市民運動班」を構成するメンバーは、歴史学、社会学、文化人類学の手法を学んできた者、そのなかでも現代史の文献史料の収集とオーラルヒストリー、語りの分析、フィールドワークを得意とする研究者で構成されています。英語、中国語、朝鮮語(済州島の言葉も)、アイヌ語に通じた研究者もおり、それらの研究者は世界の先住民の運動や朝鮮・韓国、台湾・中国の研究者、市民運動関係者とも一定の関係を築いています。

「市民運動班」ではこのような多彩なメンバーによって、(やや欲張りな?)計画を着実に遂行しつつあります。そして、研究を通じて、最終的には、市民運動団体の運営、あるいは市民運動団体と人権被害当事者や遺族、行政当局との関係等のあり方についても検証し改善すべき課題を明らかにしていくつもりです。そのことを通じて、「和解」の進展にも寄与していくことをめざします。同時に、活動を通じて収集した文献資料、関係者の証言を公開し、多言語に翻訳することで、広く関係諸国・諸民族の共有財産としていくことも計画しています。困難な中でも被害者に寄り添う、「和解」のための市民の自主的な活動が続けられてきたことを後世に伝えること自体が、「和解」を醸成するうえでも貢献となると考えて、「市民運動班」の研究を推進していく所存です。

東京大学大学院 総合文化研究科 教授

外村 大